はじめまして。Lilyです。都内在住です。私は現在、精神障害者年金2級をいただきながら完全在宅でイラストのお仕事をし、なんとか生きています。
始めはせっかくなので、私が今の生活に至るまでの経緯を綴ろうと思います。
精神障害で悩んでいる方、イラストレーターを目指したいけれど尻込みしている方の少しばかりの参考になれば幸いです。
♡手に職付けたくて……看護師を志した高校時代
私は高校時代、看護師を目指していました。それも、目指していたのは看護系の中でも倍率の高い防衛医科大学校でした。
中学時代不登校で勉強が遅れていた私が、そんな難関校(当社比)を目指した理由は家庭環境に起因します。
♡地獄だった家庭環境
我が家は“実質”母子家庭です。私が中学に上がる頃に、父親からの虐待から逃れるために東海地方から関東地方へ母と姉と私の三人で逃げてきたのです。
父は海外逃亡し、離婚調停に顔を見せず、最終的に最高裁まで争いました。
争っている期間は”別居”という形なので、法律上では母子家庭と認めて貰えない状態でした。そうなると、母子家庭に給付されるはずの手当ても受け取ることができません。
中学時代の我が家は悲惨で、私は学校でいじめに遭い不登校、姉は悪い仲間とつるんで不良少女に、母は毎日発狂しながら体を売って生活を支えるといった具合でした。母は完全に壊れてしまっていて、私を虐待をしましたが、私は母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいで、憎み切ることができませんでした。
いつしか私の中には、「母を幸せにしなければならない」という病的な使命感が生まれます。
♡看護師にならなきゃ
私は中学時代、絵を描くのが好きでしたが、当時イラストレーターといえば今よりずっと狭き門な上に薄給で、現実的ではありませんでした。
そこで、女性でも安定した収入を得ることができると聞いたWebデザイナーや看護師を目指すことを視野に入れるようになります。
公立定時制高校進学後、はじめての三者面談でその旨を打ち明けたところ、母が「防衛医大に行ってくれたらいいんですけれどねえ」と零しました。
そこで私は防衛医大を知ることになります。
防衛医大は普通の大学とは違い、防衛省が管理している大学です。生徒は特別国家公務員という扱いとなり、卒業後は指定の職場で働くことを条件に、授業料が免除され、それどころか授業中にお給料が発生します。
我が家は姉が私立高校に進学し、志望校も私立の女子大だったのでただでさえお金がありませんでした。ですが、母には「女こそ大学を出るべき」という教育方針がありました。なので、防衛医大の存在はまさに憧れ。というより、もうここに進むしかないと思いました。
そこから三年間、死に物狂いで受験勉強をすることになります。
♡ストーカー被害に遭いパニック障害に
高校2年生の終わり頃から、私には付き合っている人がいました。所属していた生徒会の先輩でした。私は当時、Twitterの鍵垢をいくつか所持していて、ネットの友達用とリア友用とで使い分けていました。ある日、ネットの友達用のアカウントで「彼氏ができた」と呟きました。これが地獄の始まりでした。
♡SNSに潜んでいた恐怖?!フォロワーさんがストーカーだった
当時の私には、中学生の頃からの相互フォロワーさんが何人かいたのですが、そのうちの一人は男性でした。以下、Tさんとします。Tさんとは何度かSkype(通話アプリ)で通話をしたことがありましたが、あくまで業務的な内容のみでしたし、相手が成人男性で私が未成年ということもあったので、私の方だけマイクをミュートにさせていただき、チャットで会話するといった感じでした。
Tさんはクリエイターだったので、クリエイター業界のリアルをいろいろと教えてくれる先生といった感じで、お互い敬意と適切な距離感をもって接していたと思います。
ですが、私に彼氏ができたと知ると、Tさんはストーカー行為を始めます。私の通学時の呟きの内容や時間帯から、住んでいる地域と通っている高校を割り出し、SNSの相互を辿って私のリア垢を見つけ出しました。そして、「Lilyちゃんと結婚するのは私です」「私と結婚すればずっとお家で絵を描いて暮らせるよ」と言い出しました。この時私は17歳で、相手は36歳。倍以上の歳の差のある、見ず知らずの人から突然そんなことを言われて、恐怖でしかありませんでした。
当時の彼氏にも一応相談をしましたが、彼氏も彼氏で公衆の面前で襲おうとしたりセクハラしたりする、ようするにヤバい人だったので、私は受験期の大事な時にストーカーと彼氏の板挟みになりました。
いろいろと割愛しますが、彼氏と別れ、過激化して今にも刺しに来そうなストーカーも警察に対処してもらった頃には、私は外に出ることすらままならない程深刻な男性恐怖症とパニック障害になっていました。