♡自己紹介2♡
Lilyです。都内在住です。私は現在、精神障害者年金2級をいただきながら完全在宅でイラストのお仕事をし、なんとか生きています。
始めはせっかくなので、私が今の生活に至るまでの経緯を綴ろうと思います。
精神障害で悩んでいる方、イラストレーターを目指したいけれど尻込みしている方の少しばかりの参考になれば幸いです。
♡受験失敗……高卒で就職へ
パニック障害を発症した私は、なんとか高校に通うものの、授業中やテスト中にも発作に苦しみ、成績が落ちていきました。それまで学年トップを維持していただけに、とても悔しい想いをしました。
♡親の反対を見越して相談無しで進路変更
防衛医大の受験は秋に行われます。結果は不合格。3年間、進路の先生や外部の講師に無謀だから諦めなさいと言われても諦めずに取り組んできただけに、学校の休み時間に合格発表を見て号泣してしまいました。
ですが、いつまでも落ち込んでいられません。この先のことを考えなければなりませんでした。元々合格の見込みが低かったので、不合格だった場合に取れる手段を事前に調べていた私は、その日の放課後進路指導室へ向かいました。
「先生、私、就職します。」
学校の看護医療系専門の進路担当の先生に告げました。当時、看護医療系を目指していた生徒は私だけだったので、実質私専門のようなものでした。
先生は急なことに驚いてはいましたが、すぐに私の希望条件を満たしている求人を集め、見せてくれました。
私の希望条件は3つ。
・看護学校への奨学金制度がある病院
・働きながら通学が可能
・寮生活が可能
お給料は安かったですが、すぐに条件を満たす求人を見つけました。
その日のうちに必要書類を集めた私は、帰宅後母に畳み掛けるように防衛医大の不合格の知らせと就職する旨を伝えました。
母は反対だったそうですが、私があまりにも有無を言わせぬ態度だったのと、代案が提示できなかったという理由で何も言いませんでした。
♡就職後、うつ病に
大きめな総合病院に就職した私は寮生活を送る予定でしたが、ストーカーの件があったので母親からそれだけはダメだと反対され、結局実家から通勤することになります。
その頃も家庭が荒れていて、私は母親の前でのみ声が出ない症状がありました。
私の毎日は、朝早く出勤する母親に出くわさないよう朝3時に起き、マックでコーヒーを飲みながら勉強し、始発で通勤し、始業時間の8時半まで病院の図書館でまた勉強し、昼休みもコーヒーだけ飲んで勉強し、退勤後は直ぐに寝るといったスケジュールでした。
2ヶ月で体重が10kg減り、同じ救急外来に勤務している医師に怒られました。
それに追い打ちをかけたのが、職場環境です。私は大丈夫だったのですが、同期の准看護師さんが先輩方からいじめに遭っていました。看護の現場ではよくあることだと聞いていましたが、いざ目の当たりにすると辛くてたまらなくて、一生この業界にいるのは無理だと悟りました。
そのうち私は出勤時間になってもベッドから動けない日々が続き、うつ病だと診断され職場を辞めました。
♡情報系通信大学への進学
仕事をやめて暫くの間、自分のやりたいことを探しました。
イラストを描くのは好きでしたが、やはり仕事にできると思っていなかったので諦めていました。
パニック障害ものこっていて、うつ病もあったので、自分のペースでできる仕事がしたいと思い、そこでたどり着いたのが情報系の仕事でした。プログラマーやWebデザイナーあたりです。
将来生きていくためだから、今頑張ろうと思い、昼と夜の仕事をかけ持ちして稼いだお金で情報系の通信大学へ進学しました。この時、親の同意書は自分で書きました。