♡自己紹介4♡
Lilyです。都内在住です。私は現在、精神障害者年金2級をいただきながら完全在宅でイラストのお仕事をし、なんとか生きています。
始めはせっかくなので、私が今の生活に至るまでの経緯を綴ろうと思います。
精神障害で悩んでいる方、イラストレーターを目指したいけれど尻込みしている方の少しばかりの参考になれば幸いです。
自傷や自殺未遂の描写があります。閲覧注意。
♡自殺未遂
仕事もできなくなり、コンサルにお金を騙し取られて貯金もなくなり、大学の授業も受けられなくなり、家庭も荒れていて、どこにも行けなくなった私はもう壊れてしまいました。
当時通院していた精神科は、あまりいい所ではなくて、劇薬指定の薬を合計で300錠以上まとめて出したりしていました。私は気が付いたら、その薬をほぼ全部飲んでいました。
後からグチャグチャでほぼ読めない字の遺書が出てきたので、死のうとしたのだと思います。
病院の天井の記憶が薄らとありますが、それ以外の記憶がなく、気がついた頃には家のベッドの上で寝ていました。
未遂から1週間ほど経っていて、どうやって病院から帰ってきたのかわかりませんでした。
私は意識が朦朧とするまま、一人暮らしをしている後輩に連絡を取りました。
「ごめん、ご迷惑でなければしばらく泊めて欲しい。お家に居られない。」
優しいことに後輩は、「先輩が助けを求めるのをずっと待ってたんだよ」と快く私を泊めてくれました。
♡見守ってくれる存在
後輩の家に泊まって2日目あたり、久しぶりにSNSの自分のアカウントを遡ってみると、身に覚えのない遺書と、血まみれの自分の脚の写真が投稿されていました。
急いで削除し、謝罪文を上げると、フォロワーさんたちは無事でよかったよと、暖かい言葉をかけてくださいました。
私はそこで、こんなにたくさんの人たちに見守られていたんだと実感し、はじめて「生きたい」と強く思えました。
今までSNSで辛い思いや危ない経験をしてきましたが、こういった素敵な側面もあるのだとわかりました。
♡距離を取ることの大切さ
母から心配のLINEが来ました。家にいる時はヒステリックでも、こういう時は母親なんだなと思います。
いつもでしたら簡単な返事だけしてあまり反応しないのですが、この時私は勇気を出して母に助けを求めることにしました。
その時のLINEのスクショが1部残っていました。
生まれて初めて、母親に「助けて」と言えた瞬間でした。
お互い距離ができて、心の整理ができたからこそ素直になれたのだと思います。
♡初めての精神病棟入院
初めての入院は散々なものでした。と言っても、病院側には丁寧で素晴らしい対応をしていただいたので、私自身に問題があります。
まず、大部屋に入院になったのですが、同室のマダム達の談笑の声が怖くて仕方なくて、家から持参していたブランケットをかぶってナースステーションの前でうずくまって泣くのを繰り返していました。
別室に移そうかという話も出ていましたが、私が入院患者の中で最も症状が重く、ナースステーションの1番近くのベッドがそこだったために、最終的には移すことはできないということになりました。
個室も存在するのですが、1日に5000円~2万円するベッド差額代を2ヶ月も払うお金は持ち合わせていませんでした。
ある日、お見舞いに来た母が、
「入院辛かったらいつでも帰っておいで。ママが悪かった。これからは変わるから。」
と、頭を撫でながら言ってくれました。今まで「お前は病気じゃない、病気ぶるな」と怒鳴っていた母がそんなことを言うので驚きましたが、私は安堵から、泣きながら「帰りたい」とお願いしました。
そして1週間ほどで退院し、その後短い入退院を繰り返しながら自宅療養していくことになります。